徳島地方裁判所 昭和43年(わ)381号 判決 1972年6月02日
被告人 甲野太郎
昭二三・一〇・二〇生 飲食店手伝
主文
被告人は無罪。
理由
第一、本件公訴事実
被告人は、昭和四三年六月一七日午前零時四五分ころ、女性の寝姿を見る目的で、徳島市北佐古二番町四の六号長尾テキスタイル株式会社女子寄宿舎のコンクリート塀を乗り越えて、同寄宿舎内に侵入したものである。
第二、当裁判所の判断
一、(証拠略)によれば、右公訴事実記載の昭和四三年六月一七日午前零時四五分頃、徳島市北佐古二番町四の六号所在の長尾テキスタイル株式会社女子寄宿舎内竹寮三一号室に一人の男が侵入し、同室で就寝していた同会社工員藤川典子(当時三四年)に見咎められて逃げ去つたという事実は、これを認めることができる。
二、そこで、右の侵入者(以下犯人という)が本件被告人であつたか否かについて検討するに、この点の立証として検察官の提出する証拠は、後述する被告人の供述調書等のほかには、証人藤川典子の当公判廷における供述が唯一のものであるところ、同証人は、被告人が犯人であることは絶対に間違いない旨供述している。しかしながら、同証人のこの点の供述は、以下に述べる諸点からその信憑性に疑問があつて、にわかに採用することができない。すなわち、
(一) 同証人は、事件当夜犯人を目撃した状況につき「がさがさという音で眼がさめ、またねずみが暴れているのかなどと思い、上半身を起こして耳をすましたが、もう音がしないので再び仰向けになつたとたん、枕元に誰かが坐つているのが見えた。誰か寝とぼけて坐つているのかと思い、『だれ、だれ』と声をかけたが、返事をしないので、ひやつとなつて急いで入口の柱にあるスイツチの処に行き電灯(二〇ワツトの螢光灯二個)をつけた。すると枕元に坐つていた男が立ち上つていきなり入口のほうに走つてきた。それでわたしは男に飛びついて行き、手をつかまえようとしたが、さわつたと思うとすぐ振りほどかれた。相手の顔は見た。男は『声を出すな』といい、廊下に出た。わたしも付いて出た。そこで二分ほど立ち止つてにらみ合いをした。間隔は二尺余りだつたと思う。男は『わしが来とることをだれにも言うな』といい、いきなり廊下をぱつと走つていつた」旨を供述したうえ、その犯人は被告人に間違いないと述べているのであるが、そのように断定する根拠としては結局「目もととか顔の輪郭、二人とおりません」と自己の主観的印象を強調するにとどまつている。同証人が自ら語るところによれば、同証人は幼時に眼を患い、乱視と老眼がまじつていて裸視力は〇・三ないし〇・四、テレビを見たり仕事をするときはいつも眼鏡をかけているが、前記目撃時には眼鏡をかけていなかつたということであり、また、犯人が果して同証人の語るように二分間ものあいだ対峙したままで現場にとどまつていたかどうかの点にも疑問の余地があるが、これらの点を割引いても、前記のような目撃状況のもとでは、犯人の容貌を相当よく観察できたかもしれないことは否定し難い。しかし、われわれの観察や記憶が往々にして不正確で誤りやすいものであることを思えば、前記のような藤川証人の印象供述は、それだけでは、それが正確であることの客観的裏付けを欠き、犯人と被告人とを結びつける証拠として不充分といわなければならない。
(二) 藤川証人は、本事件の発生する以前に寄宿舎の周辺で何度も被告人を見かけたことがある旨供述する。もしそうであれば、そして事件当夜同証人が犯人の顔を充分に観察することができたのであれば、犯人と対峙した時点において直ちに被告人に思い当つてしかるべきものと思われる。しかるに同証人の供述自体によつても、同証人は、犯人と対峙したときはもちろん、当夜犯人が逃げ去つたのち寮友たちに犯人の特徴を語り、それを聞いた寮友が、その犯人は近くに住んでいる人のようだ、甲野という人らしいと言い出しても、まだ被告人に思い当らなかつたというのである。このことは、事件前に被告人を何度も見かけたという前記供述が偽わりであるか、さもなければ事件当夜犯人の顔をよく見たという供述が疑わしいことを示すものであつて、いずれにしても、犯人は被告人に間違いないという前記証言の信憑性を著るしく低下させるものといわなければならない。
(三) (証拠略)によれば、藤川典子は、事件の直後犯人の特徴について、「背丈一米六十二、三糎で、髪は角刈で色が白く、赤みがかつたサマーセーターの半袖で黒つぽいズボンで年令二十二、三才の男」と述べていることが認められ、(証拠略)によれば、藤川典子は事件後の六月二〇日警察官の依頼で被告人が働いている食堂に赴き、ひそかに被告人を見たが、そのあと司法警察員に対し「身長は今日見た甲野太郎という人の方が少し高いようにも感じ」た旨供述している事実が認められる。一方、被告人の事件当時の年令は一九年八ヶ月で、身長は約一六七糎であつたと認められる(被告人の司法警察員滝口建造に対する昭和四三年六月二一日付供述調書)が、証人藤川典子は当公判廷において、弁護人の反対尋問に対し、事件当夜の犯人から受けた印象と、被告人から受ける印象とが身長や年令の点で若干異なることは認めながら、事件直後に犯人の特徴について前記のような供述をしたことを認めたがらない態度を示している。しかしながら事件直後における前記供述は、まだ記憶の新らしい時期になされたものとして、比較的正確な犯人の特徴を示すものと思われるところ、そこに述べられている犯人の身長・年令と当時の被告人の身長・年令との間には目測に通常伴う誤差として無視しきれない程度の差異があるというべきであり、この事実もまた、被告人が犯人であるという前記藤川証言の信憑性に一つの疑問を投ずるものといわなければならない。
(四) さらに、犯人の着衣につき、事件直後藤川典子が「赤みがかつた半袖のサマーセーター」と供述していることは前記のとおりであるが、同人は当公判廷においては、「(男の腕は)ひじの下あたりから出ていました」「えんじ色のサマーセーター着ていました。前に三つぼたんのえりが付いている」「長そでをまくつておつたのか半そでを着ておつたのか記憶がないんです」と供述し、なお弁護人の反対尋問に対し、はじめは事件直後において犯人の着衣を半袖と述べた事実を否定し、その後さらに追求を受けた結果ようやく右事実を認めるという態度を示している。ところで、(証拠略)を総合すると、本住居侵入事件の捜査に当つた徳島西警察署の警察官らは、藤川典子の犯人は赤みがかつた半袖のサマーセーターを着ていた旨の前記供述にもとづき、被告人を逮捕した同年六月二〇日から翌二一日にかけて、捜索令状を得て北佐古二番町四番一一号にある当時の被告人の住居および同町四番三九号にある被告人の両親の住居を再三にわたり捜索したが、赤色半袖セーターは遂に発見できず、そのかわりあずき色長袖セーターがあつたので、同月二二日、被告人の母武林ナツエから右長袖セーターの任意提出を受けたこと、この長袖セーターは藤川典子の当公判廷における供述にあるとおり「前に三つぼたんのえりがついている」ものであることが認められ、これらの事実や、さらには被告人の司法警察員滝口建造に対する同月二一日付供述調書には、事件当夜の着衣が「毛糸で編んだようなうす茶色の半袖シヤツ」と記載されているのに、翌二二日付の司法警察員真部勝に対する供述調書では右長袖セーターに符合するように訂正する旨が記載されている事実などを併わせて考えれば、犯人の着衣に関する藤川典子の供述も、事件直後になされた供述の方がより正確で信を措くに足るものと思われる反面、同女の公判廷におけるこの点の供述は、その内容および前記のような供述態度からみて、同女が、被告人宅で発見された前述の長袖シヤツの形状から影響を受けて、犯人から受けた印象とは異なる供述をあえて行なおうとしているのではないかとの疑惑を生じさせるに足るものである。そして、犯人についての客観的な手がかりとして本件では最も重要なものというべき着衣の点に関する右のような事態は、「目もとや顔の輪郭」を根拠として被告人を犯人と断定する同女の証言もまた、事件以後に被告人を観察して得た印象に影響されて(故意にとはいわないまでも)当初犯人から受けた印象を改変した結果の証言ではないかとの疑いをもたらすものであつて、この点からも同女の右証言の信憑性には疑問を抱かざるを得ないのである。
三、次に、検察官において、犯人が被告人であることを立証する他の証拠として本件捜査過程における被告人の供述を録取した書面、すなわち(イ)司法警察員滝口建造に対する昭和四三年六月二〇日付弁解録取書、(ロ)右司法警察員に対する同月二一日付供述調書、(ハ)司法警察員真部勝に対する同月二二日付供述調書、(ニ)検察官に対する同月二三日付弁解録取書、および(ホ)裁判官の同日付勾留尋問調書の取調べを請求し、これらの書面には、いずれも本件公訴にかかる犯罪事実の自白を内容とする被告人の供述記載があるところ、弁護人は、これらの書面はいずれも、別件逮捕により身柄拘束中に作成されたものであり、しかもそこに記載された供述は強制にもとづくもので任意性を欠くから証拠能力がなく、また信用性もないと主張する。そこで右の主張にかんがみこれらの書面の採否について検討する。
(一) まず本件に関する捜査の経緯についてみるに、(証拠略)を総合すると、
(1) 本住居侵入事件が発生した当時、徳島西警察署では、管内で発生していた一連の婦女暴行事件すなわち①昭和四二年一二月一八日午後六時五分頃徳島市北佐古一番町七九の水田上で起つたA子被害の強姦未遂・強盗傷人事件、②同日午後六時二〇分頃同市田宮町広坪の市道上で起つたB枝被害の強姦未遂・強盗事件、③昭和四三年四月八日午後一〇時過頃同市同町久保田の農道上で起つたC子被害の強姦未遂事件および④同年五月二一日午後一一時二〇分頃同市上助任町大坪の農道上で起つたD子被害の強姦事件がいずれも未解決で、その捜査が鋭意続けられていたこと、
(2) 同年六月一七日本件が発生したことを知つた前記西警察署は直ちに捜査を開始し、被害者藤川典子らから事情を聴取するうち、同女やその同僚らの供述から容疑者として犯行現場近くに住む被告人が浮かび、同月二〇日昼頃藤川典子にひそかに被告人の姿を観察させたところ、犯人に相違ないと思う旨の供述を得たので、これを調書に作成するとともに、同日午後四時過頃、北佐古二番町四番三九号にある両親が経営している食堂で働いていた被告人に西署まで同行を求め、同署二階の取調室で取調を開始し、またこれと相前後して徳島地方裁判所に被告人に対する右住居侵入被疑事件(強姦目的)についての逮捕状および被告人の住居等に対する捜査差押令状を請求し、ほどなくその発布を得、被告人が自供するのを待つて同日午後一〇時三二分、同署において右逮捕状を執行し、被告人を同署に留置したこと、
(3) 翌二一日から二二日にかけて、同署刑事滝口建造、真部勝らが住居侵入事件について被告人を取調べて自供調書を作成するとともに、一連の婦女暴行事件についても被告人を訊問したところ、前記四件について被告人の自供が得られたので二二日吉村晴夫刑事においてその供述調書を作成し、同日午後六時頃住居侵入事件につき検察官送致の手続がとられ、翌二三日検察官の勾留請求が徳島地方裁判所で認められて同日午後零時三〇分被告人は前記西署の留置場に勾留されたこと、
(4) その後一〇日間の勾留期間中被告人は主として前記婦女暴行事件について取調べを受けたが、同月三〇日頃に至り前記①②の事件については被告人にアリバイのあることが判明し、また③④についても被告人の自供内容に不審な点があつて、改めて被告人に問い質した結果、被告人が虚偽の自供をしていたことが明らかになり容疑がはずされたこと、なお、これら四つの事件は現在に至るも未解決にとどまつていること、
(5) そして被告人は勾留期間の終り頃身柄のまま徳島家庭裁判所に送致され、即日同裁判所において釈放されたこと、
が認められる。
右認定の経緯によつてみると、本件住居侵入事件について行なわれた被告人の逮捕ならびに勾留は、一応相当の理由および必要性に基づいてなされたものというべきであり、右の逮捕・勾留中にこれを利用して婦女暴行事件の取調べが行なわれたことは事実であるけれども、捜査官らがはじめから右婦女暴行事件の取調べに利用する目的でもつて、ことさらに本件につき逮捕・勾留を行なつたと目するに足る事実は認められないから、本件逮捕・勾留はいわゆる別件逮捕・勾留として違法とすべき場合に該当しないものといわなければならない。
(二) 次に、被告人の自白を内容とする前記各供述録取書が作成されるに至つた経緯について検討するに、この点につき被告人は、当公判廷において大要次の如く供述する。
『(六月二〇日)事情のわからないまま西署に連行され、二階の取調室で早川、栗林、岡田、滝口各刑事らに入れかわり立ち替わり訊問された。最初自分の方から連れて来られた理由をきいたところ、「自分の胸に手を当てて聞いてみろ」といわれ、わからなかつたのでさらにきいていると、しばらくたつてから「長尾の女子寮に入つただろう」といわれた。身に覚えがないので繰り返し違うといつたがきき容れてくれず、「みんな言つてしまえ」とか「早く言つて楽になれ」とかいわれた。こういう状況で時間が経ち、午後九時半頃からは滝口刑事一人の調べになつたが、同刑事から「言えば帰してやる」「こんな事件軽いもんだから早う帰らんか」「留置場で寝んと家で寝んか」などと言われ、一〇時を過ぎた頃からは「しやべらなんだら送るぞ」「送る送る」と何度もいわれた。はじめ送るという意味がわからなかつたが、少年院へ送られるかもしれないということがわかり、そのうち、疲労してきたこともあつて、少年院へ送られたらつまらん、いえば家に帰してくれるというのなら向うのいうとおりにいつてしまおうか、住居侵入程度の事件だつたら、すぐに真犯人があがつてくれるだろう、というような気持になり、「言うたらほんとに家に帰してくれるか」ときくと、滝口刑事は「帰してやる」といつた。そこで同刑事が「お前やつたな」と聞いてきたのに対して首でうなづいた。すると同刑事はすぐ上役か誰かに「吐いた」と電話し、そのあとすぐ同刑事から逮捕状を見せられ、弁解録取書を作られた。そして家に帰してくれというと「あした調書取らないかんからきようは帰れん」といわれ、留置場に入れられた。翌二一日は朝から同刑事に調べられ、調書をとられたが、調書をとるとき、自分はやつていないので答えられないでいると、向うがヒントを与えて教えてくれた。侵入口についても、、わからないものであれこれいつていると、刑事の方でここからと違うんかというて、適当にぼくの家の前から入つたことになつた。調書に添付した見取図は青いコピーの見取図を見せてくれ、それを横において見ながら書いた。自分は長尾女子寮へは小学生の頃台風の折に近所の人達と一度入つたことがあるだけで、内部の模様など殆ど知らない。二二日の午前中に真部刑事から着衣の点のくいちがいについて調べを受けたが、このときも弁解はききいれてもらえず、前日認めてしまつているので、結局同刑事のいうとおり認める内容の調書をつくられた。婦女暴行事件については二一日に真部刑事に調べられ、二二日に吉村刑事に調書をとられたが、真部刑事の調べの際、やはり弁解をきいてはもらえず、「指紋が出ている」といわれたり、ポリグラフ検査の結果について「よう出とる、ほかにも悪いことをようしとる」といわれたりし、いくら否定しても聞いてもらえないので認めることにした。そして結局、釈放されるまで、何を言つても無駄だというあきらめの気持だつた。』
これに対し、被告人の取調べを担当した滝口建造、早川朝雄、栗林重吉、吉村晴夫、岡田伴二、真部勝らは、いずれも当公判廷における供述において、被告人の述べるような釈放の約束、威迫、誘導あるいは偽計による取調べを行なつた事実を否定し、被告人は当初こそ否認していたけれども、まもなく自供し、以後は自然な供述態度であつた旨を証言する。
被告人に対する取調べの実際がどのようなものであつたかを、右のような互いに相い反する供述の中から認定することは、事柄の性質上至難のことであり、被告人の供述を全面的に採用しうるものとも思われないが、しかし被告人の右のような供述は、ことさらに言い逃がれをしようとしているものとは思えないその供述態度とあいまつて、或る程度被告人の述べるところに近い状況があつたのではないかとの疑惑を抱かせるに足るものであり、前記捜査官らの供述を、右の疑惑を晴らすに充分なものであるか否かという観点から検討するとき、遺憾ながらそれは充分でないといわざるを得ない。すなわち、
(1) 前記(二)の(2)で認定した被告人の任意同行から逮捕状の執行に至る経緯に照らすと、おそくとも当日午後六時頃までには入手していたはずと思われる逮捕状がなぜ午後一〇時三二分まで執行されなかつたかについて、右証人らは納得するに足る説明をなしえていない。却つてその間の時間が主として自供を得るために費やされたものと推測される状況であり、そうだとすれば、その間における取調べの模様についての被告人の供述を一概に排斥し難いものといわなければならない。
(2) 二一日滝口刑事によつて行なわれた取調に関する滝口証人の証言にはにわかに措信し難い点がある。同証人は、同日作成された被告人の供述調書添付の図面は、被告人に対し何らの参考図面も示さずして書かせたものである旨証言するが、該図面はかなり詳細かつ正確なものであつて、日常現場寮内に起居する者でもなければ記憶だけでは到底書くことができないもののように思われ、被告人がこれを書くためには何らかの図面を参考とすることが必要であつたと思われる。右証言は、この点に関する前記のような被告人の供述と対比して、取調べ状況につき疑惑を抱かせるものである。
また、同証人は、右取調べの際被告人の供述によつてはじめて現場居室の机の上に時計らしきものがあつたことを知らされた旨証言するが、このことは、同証人が右取調べより二日前である一九日に自ら実施して二五日付で書面とした実況見分調書に、右時計らしきものに該当するポータブルラジオの存在がその寸法まで計測して明確に記載されている事実と明らかに矛盾する。
さらに言えば、同証人は、当公判廷において、被告人から前記被告人の供述にあるような点について具体的に質問された際、おおむね簡単な言葉で否定するのみで、積極的・具体的に自ら行なつた取調の状況を明らかにしようとする態度に欠けていたものといわざるを得ず、以上のような諸点によつてみると、同証人は被告人によつて投ぜられた取調状況についての疑惑を晴らすことに失敗したものとせざるを得ない。
(3) なお、本件の捜査過程において、二一日ないし二二日頃被告人に対しポリグラフ検査が行なわれたことは前記各証人および被告人の当公判廷における供述によつて明らかであるが、もし、捜査官らが証言するように、被告人の自供が格別の問題なく得られたものとすれば、ポリグラフ検査まで行なう必要はなかつたようにも思われる。この検査が、いつどのような目的で行なわれたか、その結果がどのように用いられたかについて、右各証人らは納得しうる説明ができていない。このこともまた、被告人の供述内容と対比して、本件の取調べ状況について一抹の疑問を投ずるものである。
このようにみてくると、六月二〇日から六月二二日にかけて作成された被告人の各供述録取書(三の冒頭に記載した(イ)(ロ)(ハ)の各書面)は、いずれもその作成過程において、不当な誘導、威迫等が行なわれたのではないかとの疑いがあり、このことはひいてはそこに記載されている被告人の自白が任意にされたものでない疑いをもたらすものであつて、これらの供述録取書はいずれも刑事訴訟法三一九条一項により、本件公訴事実を認定するための証拠とすることができないものといわなければならない。またその余の被告人の供述録取書(前記(ニ)(ホ)の両書面)も、被告人の前述のような供述に照らしてみるとき、右の如き不当な誘導、威迫等による抑圧された心理状態の継続下になされたものである疑いがあり、同様に証拠能力を否定すべきものと思われる。
四、なお、被告人の前記各供述録取書は、いずれもその内容自体からして真実味に乏しく、信用性の極めて薄いものである。供述内容が詳細にわたるのは、前記(ロ)と(ハ)の両供述調書であるが、前者は一見具体的であるように読めはするけれども、他の証拠と対比してみると、それが作成された時点までに、実況見分や被害者藤川典子の取調べの結果捜査官に判明していた諸事実から構成することのできる程度の内容にすぎず、犯人でなければ明らかにできないような事実を読みとることはできない。また後者は、犯人の着衣に関するものであるが、一読して、被害者のいう赤色半袖シヤツを発見することができず、長袖シヤツを手に入れたにとどまつた捜査官が、被告人の自供をそれに合わせるのにいかに苦心したかを示すのみであつて、到底犯罪事実の認定には供し得ない内容のものである。取調状況に関する被告人の供述が或る程度真相に近いことを、右二通の供述調書自体が語つているようにも思われる。
五、弁護人は、被告人のアリバイの立証として、被告人の祖母甲野乙子の供述を昭和四四年二月一三日に録音したテープを提出し、それには、本件発生の当時、被告人は現場女子寮に近い自宅において自分と一緒に就寝していたもので外出してはいなかつた旨の供述があるが、同女がかなりの高令でその記憶の正確性に疑問があることや、同女と被告人との身分関係などからみて、右供述をもつて被告人が本件犯行当時犯行現場に居なかつたことを認定するには充分でない。被告人の当公判廷における右と同旨の供述もまたアリバイの確証とすることはできない。
六、以上のとおりであつて、犯人が被告人であることを認めるに足る証拠はなく、本件公訴事実は犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をすべきものである。
よつて主文のとおり判決する。